……いつしか私は殺しの咎で捕らえられたものを擁護するようなことを言った。また、今ではそれが誰だったかわからないが、お前は遺族にも同じことをいえるのかといったものがいた。私はいつもそのように罪人があわれにみえるので、ときとして癇癪のように憤りを覚えた。
……裁くものと裁かれるものは、たがいに同じ場に立ちうるものではないか。かれはどうして裁くのだ? そこに必然であると言える何かがあると言うのか? かれが裁かれるものであるとしても、別におかしいことではないはずだ。かれが裁くものでなければならないという必然性はどこにもありえない。……あるいは、裁かれるものは、裁かれることを事前に知っていただろうか。かれは子供のころ、自分がそのように法のもとに拘束されるものとなりうるのだと考えてみたり、そのためにひどくおびえたり、そのように空想と戯れたのだろうか。かれ自身そのように自分のやがて科せられる罰を想像してみただろうか。……ところで私はこれから自らが裁かれるということを想像できるだろうか。明日の私は何もしでかさないと信用してもよいだろうか。しかし、これはどのように信用すればいいのだろう。明日のことは、明日の私にたずねてみないとわからないがそのたずねるべき人は明日にならねば現れず、またそのようにたずねることができるのは今日かぎりの私だけであるから、これはどうしても明日の私の信頼をたしかめることは難しいものにみえる。私はこの先のみずからを信じてもよいのだろうか。
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