リアルよりの一過的解脱に就いて

  緒言
 まず、この論の旨をバ些少、お話しましょう。
 とかく、結論的に、謂わば浪漫へ逸することへの懐疑です。要するに、奈何にしてかリアリテイの膜を貫くかが論点で、決して自我的なリアルの逸脱を否定する訳ではあり得ません。
 まず、一ツ目のヒントとして、人間の根本的エロスが、すなわち逃避に対して、すこぶる効果的であると同時に、それが意するごとく、例を以て案内すると、快楽がその一ツめのヒントでありまして、かしましいですが、聊かかんべを絞れば、中坊にも解せる筋でありましょう。
 詰り、簡潔に纏むなれば、浪漫への到達は、快楽というある種の手段によって、容易にあらねども、一ツの手懸りに成得ることは否定も、ないし、今刻、肯定も出来得まい事は仕様のない筋でしょう。
 最後に強いて言うと、単一の快楽が幻想への到達を意味することは言う迄もありません。要として、熱情的、或いは劣情的、感が満つるれば、そで一応、成就と成りえぬ訳ではない。

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 第一に重視すべかるは、ある種のリアルの感慨の深みの欠如であり、心理の論点で言わば、一種の離人感覚がそれであり、決して障害や、シンドロオムとして、処理してしまうのは、いささか早計な筋。すなわち、病理は病理ではしかず、一線離避することを諦観することが最も肝要であろう、ということです。

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